2019年6月23日(日)に放送の
「消えた天才」では
末續慎吾(すえつぐしんご)さんが
勝てなかったという“天才美女”が
登場します!
天才美女の正体は「井村久美子」さん!
(旧姓:池田久美子さん)
井村久美子さんについて調べていて
筆者が気になったのは
井村久美子さんの親友・森千夏さんです。
番組内では井村久美子の
今は亡き親友として紹介されます。
どんな人物だったのか調べていたところ
日本女子初の快挙を成し遂げる
寸前だったことが分かりました。
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親友・森千夏プロフィール
名前:森 千夏(もり ちなつ)
生年月日:1980年5月20日 – 2006年8月9日
享年:26 歳
職業:陸上競技選手(女子砲丸投日本記録保持者)
森千夏選手は、日本記録を7回も更新し
日本女子砲丸投げのレベルを
世界レベルマで押し上げた人物です。
日本女子で砲丸投げの
オリンピックに出場したのは
森千夏選手が、
1964年東京オリンピック以来の
なんと、40年ぶり!
北京オリンピックでの
活躍も期待されていました。
砲丸投げというと
どれくらいの記録が「すごい」のか
イメージがつきにくいかと思います。
森千夏選手は
日本人女子がこれまで
超えられなかった
18mという飛距離を超えて、
日本人女子で初めて
18mの投球をした人物です。
4月18日(日)静岡県浜松市の四ツ池公園陸上競技場で開催された静岡県西部陸上競技選手権大会において森千夏が自身の持つ日本記録である17m80cmを大幅に更新する18m22cmのビッグスローを披露し、日本人女子初の18mスローワーとなりました。
日本人女子は、
森千夏さんが記録を出すまで
世界レベルに遠く及ばなかったのですね。
それだけすごい選手なのに
知られる前に亡くなってしまったのは
オリンピックで結果を残す
直前に体調を崩してしまったからのようです。
26歳・虫垂ガンで亡くなる
森千夏さんは、選手として
まさにここから!
・・・というタイミングで
虫垂ガンによりなくなってしまいました。
その活躍が忘れられてしまわないように
恩師が書籍として
森千夏さんの活躍を残しています。
告別式での池田久美子(当時)の弔辞
井村久美子さんは
森千夏さんの告別式で
親友として弔辞を読んでいます。
森千夏さんの告別式の祭壇は、
オリンピックのマークが飾られていました。
井村久美子さんは
森千夏さんの告別式当時は
まだ結婚しておらず
「池田久美子」(イケクミ)でした。
告別式の様子を
まとめているブログがあったので
少しご紹介します。
弔辞を読んだのは4人。東京高時代の恩師である小林隆雄先生、スズキで同期だった池田久美子選手、選手の立場を代表して為末大選手、そして大学時代の恩師で卒業後も専任コーチだった青山利春国士大監督である。その内容をざっと紹介することで、告別式の雰囲気を伝えたいと思う。
東京高時代の恩師である
小林隆雄さんの弔辞は
文章を読んでいるだけで
泣けてきました。
「森ぃ、そんなところで寝ていないで、砲丸投げようよ。みんなに砲丸投げているところ、見てもらおうよ」
「君の遺志を引き継ぎ、オリンピックでメダルを取れる選手を必ず育てます。そのときは君も一緒に、あの舞台でもう一度戦いましょう」
そしてこちらが
井村久美子(当時は池田久美子)さんの
弔辞の一部です。
森ちゃんとは中学の時、全国大会で初めて会ったよね。
お風呂場で声を掛けてくれたんだったよね。(中略)
今は森ちゃんの笑顔しか思い浮かばないよ。
久美ちゃん泣かないでね、って言っていそうだね。
でも、森ちゃんがいないから寂しいよ。森ちゃんと私で約束したよね。
北京オリンピックで森ちゃんが20m投げて、
私が7m跳んで、
メダルを目指そうよ、って。
2人で約束したよね。でも、森ちゃん……
森ちゃんは、それができないから、
私が絶対に北京オリンピックでメダルを取って、
森ちゃんのお墓に報告できるように、私頑張るから。
だから森ちゃん、
ずっと陸上のこと好きでいてください。
当時所属していたスズキの
チームのwebサイトには
森千夏さんご本人の
インタビューも残っています。
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森千夏・生前のインタビュー
こちらが、
森千夏さんが生前に所属していた
スズキの陸上チームの
公式webサイトに掲載されていた
森千夏さんのインタビューです。
■浜松で2度目の大台突破
森千夏による日本人初の18m台がマークされたのは、スズキ勢にとっては地元中の地元、浜松市の四ツ池公園陸上競技場だった。実は、森が同競技場で“大台”を突破したのは、これが2回目。国士大4年時の2002年、11月の浜松中日カーニバルで日本人初の17m台となる17m39をプットした。
「そういえば、そうでしたよね。あとで指摘してもらって“へぇー”っと思いました。偶然なんでしょうけど、縁ってあるんですね。でも、静岡の人たちに喜んでもらえたのは、よかったです。スズキの人が審判員をされていましたし、静岡の試合でいつも一緒になる投てき関係の方も多くて。“頑張れ”って普通に言ってくれるので、私も素直に“頑張ろう”と思えるんです。去年の国体(2位)でお世話になった方たちに、少しはお返しができたでしょうか。18m55(アテネ五輪参加標準記録A。すでにB標準は突破済み)にラインを引いてくれて、それには届きませんでしたが、その気持ちに応えたかったんです」■喜ばなかった理由
とはいえ、18m22を出した2回目の投てき直後、落下地点を見つめる森の表情は、いつもと同様に厳しいものだった。
「18mラインを越えたのは、砲丸が着地したのと同時にわかりました。18m55に届いていないのも。自分のなかでは喜びたい気持ちもありましたが、A標準まで33cmに迫って、残りの試技も4本ありましたから、チャンスだと思ったんです。それに集中しないといけませんでした。でも、結局、記録を出したい気持ちが焦りになって、ダメでした。そんなに甘くないということですね。一発でクリアできたら、誰も苦労しません。でも、去年の日本記録のときは“まだまだ”という気持ちが強かったのですが、今回は“やっと18mに行った”という気持ちもありました」■オリンピックは自然体で
昨年までの森だったら、今回の記録でオリンピックと19m台への気持ちが一気に高ぶり、さらに力が入っているところだ。だが、今季の森はどこかが、違っている。もちろん、その2つは大目標だが、アプローチの仕方にギラギラした部分がなくなった。
「オリンピックはどの選手も気合いが違いますから、世界選手権よりもレベルが上がるかもしれませんね。でも、私にとってはまず、出場することです。出られたらまた、次のことを考えます。去年の世界選手権も、自分のその時点の力も考えず、出るからには決勝に行くんだって、気負いがあったと思います。18m55も19mも、狙っていないと言ったら変ですけど、本当に投げられるのかと聞かれたら、“さぁ”としか言えないですね。これまで、結果ばかりを見すぎていました。そこに気を奪われると、本当にやらないといけないことがわからなくなってしまうんです。結果を見すぎず、自分のやってきたことを出せばいい、と考えています」
もし森千夏選手が
ガンで亡くなっていなかったら
日本女子投擲界を盛り上げる
人物となっていたことでしょう。
まとめ
今回は、井村久美子選手の親友で
今は亡くなってしまっている
森千夏選手について調べました。
- 日本人女子初の18mスローワー
- 1964年東京オリンピック以来40年ぶりの女子砲丸オリンピック出場
- 虫垂ガンにより26歳の若さで亡くなる
森千夏さんが今も生きていたら
室伏広治選手のように、
日本のオリンピックを盛り上げるだけでなく
陸上競技の中ではマイナー競技の
砲丸投げを、有名にする
選手となっていたかもしれません。
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